非常識天然奇行浪漫譚

日本語したため屋の備忘録です

恋愛小説を書かないということについて

恋愛ものは映画やドラマで眺めている分には

とくに何もストレスがないんだけれども、

活字でそれを読まされるのは非常に汲々とする。

 

正直、文字しか情報がないところに他人の恋愛

などを想像したからといって、どういった面白みが

そこにあるのか、恋愛を主題にした小説には特に

そういう想いしかない。

※恋愛を主題にするならせめてコメディにしてほしい。

 

書き手側の立場から言わせてもらうと、単純に

恋愛小説を書こうとなった場合、その結末として

「実る」か「破局」かのふた通りしかないので、

読者としても結末の予測が容易にできてしまうことを

見越して書かなければならず、人情として結果が

想像できるものほど退屈なものはない、では読者を

飽きさせないためにはどうするか。これがもう

恋愛小説ほぼ全てがそうであるように、結末までの

過程を盛り上げるために、多くの不幸や、越えられ

そうもない障害を描く必要がある。非常に楽しくない。

 

また、それを読むにあたっても、恋愛ものは基本的に

純粋に描かれるべきで、それを美しく思ったり、

感動するのはそこに日常との相違があるからだと

何本か読めば気がついてしまう。つまり現実は、

言うまでもなくとても汚れている、ということになる。

こんなのが何の救いになるのだろうか。

 

ひどく毒づいてしまったけれども、自分が恋愛小説を

ジャンルごと遠ざけているのは先述のとおりである。

わかりきったことを、よくも書けるし、読めるよな、

恋愛小説にまつわる人は、タフだよな、と思ってしまう。